この学校に入って良かったこと
人は見かけ寄らないことが良く分かったこと。
その性格の出力に見えるものがそこに存在しているからといっても、そのプロセスがそうとはかぎらない.
レポートがめんどうだった。
何故このような、非効率的なことをやっているのか理解できなかったが、その背景について考えることができるようになった。
しかしレポートの趣旨がこのことに気付かせることにあったとしても、非効率的すぎる。 2年間も非効率なことをやっていられるほど人間の寿命はながくない。
努力はあまり意味がないことが分かった。・・・ こう書くと少し語弊がある、
努力には方向性というものがある。 効果をあげるためのもっとも効率的な方法を行わなくてはならない、かつて自分はこのことが分かっていないわけではなかったが,
そんなことよりも、その心構えや心がけや意志や真心といったものをとにかく重視するところがあり、
心がけとそれによる行動さえあれば結果はついてこなくてはならないと思っていた。
しかしそれは理不尽はなはだしいことなのだけど。
まあ一番勉強したテストにかぎって点が悪く、たいして勉強してもいない物が点が高かったりするからこんなことをおもうのだが,
まあようするに自分がオバカだったので、あたりまえのことの意味を大きく感じただけのことだ。
しかし、要領のいい努力ができるやつがこの学校に入ってくるとはおもえない。
ここにいる人は、勉強をしなかった人か要領の悪い人というのが多いのではと思う。
そのとき、テストの結果がその要領の悪い人にとって、上記したもののように感じられたのなら、
その人は自分の馬鹿さかげんに気付くのか ? それとも・・・それとも・・・
とりあえず、このことは自分にとってはいいことだった。
このことは今流行りのボランティアにもいえる。
(西本 やすくに)